yoshi47

1981年岐阜県生まれ、愛知県育ち。16歳の時にBREAKING を始め、そしてグラフィティを始める。20歳の時にアメリカに渡り、アートというものに出会う。アメリカの色々な州にてライブペイント、個展、アートイベントなどにて活躍。その後サンフランシスコにてバイクメッセンジャーとなり、そのコミュニティーの中に生きるための本当の意味を見いだす。後に日本に帰国、東京にてメッセンジャーとなる。現在はメッセンジャーをやめ、絵を描く毎日をすごしながら、日本、アメリカ、フランス、中国などにてグループ展を主催し、個展、壁画、そしてライブペイントなども精力的に活動。基本は旅をして色々な物事を観るという価値観を大切にするために定住は全くしていない。日本各地を転々としながら、今はまた東京で活躍中。次はどこに住むかも模索中。

Q&A

まずあなたのバックグラウンドを教えてもらえますか?

アメリカでブレイクダンス追いかけて、肩壊して、絵を本気でやり始めて、気づいたらメッセンジャーをサンフランシスコでやっていて、気づいたら東京でもメッセンジャーやっていて、気づいたら今。

アーティストとして活動し始めたのは何歳ごろですか?またそのきっかけは?

23歳。きっかけはブレイクダンスがもうできなくなって、途方に暮れていた時に、自分の『最後の砦』(能力)って何だろうって考えたら毎日絵を描いていたし、グラフィティもダンスの練習の合間や帰宅途中などにやっていたから、本気でやってみようって。

アートは人々に影響をもたらすと思いますか?もしそうであればどんな事だと思いますか?

思います。ただ一言でどんな事だというのは無理です。アートって宇宙みたいなもので、色んな形の星(スタイル)があって、色んな表現があるから。ただ、今までアーティストとして生きてきて、「人生が変わった」とか「本当にありがとう」って言われ続けて、何かしら僕の活動などは人に影響を与えているんだなって考えると、感慨深いです。本当に有り難い事だなって。

作品を作る際にいつも心がけていることはありますか?

あります。呼吸を乱しながら作らない事。陰と陽のバランスを整えてから製作にうつります。というか、バランスを普段から安定させる事を心がけています。といっても、なかなか難しいですが、こころがける事で、技術や想像がクリアになるので。

今回坩堝は「日本」をイメージした作品を依頼していますが、どのような作品作りをしましたか?

とりあえず、ロゴを考えないで、坩堝という言葉のみに集中してコンセプトを発展させました。ロゴは後に付け足せば良いという考えで。

最後に坩堝に参加しようと決めた理由を教えてください。

正直言えば、MHAKが前のコレクションでやっていて、MHAKがやるところは大体信頼があるし、疑いもなくスムーズにいけるだろうなっていうところ。それに付け加えて、商品のクオリティーが高い。そこには驚かされました。